7月中旬に台湾から家族が帰国し、コロナ対策の自主隔離期間がようやく終わりました。
この記事では、台湾人妻と1歳半の息子を台湾にコロナ疎開させた4か月の出来事について纏めたいと思います。

コロナ疎開 再入国

台湾に帰らせよう、そう判断したのが2月下旬頃でした。まだコロナ騒動が伝播する前のかなり早い段階でしたが、日本の現状を鑑みると医療崩壊の可能性が十分に考えた時期です。

台湾人妻の職場には長期の休職届を出し、1歳半の息子が通う保育園にも無期限の休園届を提出し、関空へ送り届けたのが2020年3月1日。

私は日本の生活を維持するために日本に残り、家族とは日本ー台湾の別居生活がスタートしました。

台湾入国時にはPCR検査をしたようで、そこから自宅で14日間の隔離期間です。
台湾での隔離は強制力を伴います。GPS管理され、外出が確認された場合は警察が出動することも。隔離を破った場合は最高300万円の罰金刑となります。このように台湾ではコロナ対策を徹底してやっており、私が家族を台湾に帰らせた理由にもなっています。日本と台湾、どちらが安全かと考えると迷うことなく台湾を選びました。

1歳半の息子にとっては環境が大きく変わることになりました。これまでの日本語環境から中国語・台湾語環境へ。これは中長期のホームステイ環境と同じようなもので、バイリンガル教育上とても有意義なものとなりました。

コロナ疎開 海外

元々、定期的に2週間ほど台湾にショートステイさせて中国語に触れさせる計画をたてていましたが、コロナの件でこれだけ長期の台湾滞在。これは常時では実現できないことですのでコロナの影響が全て悪いものであるとはいえません。

4か月半の中国語環境で2歳になろうかという頃には中国語でのコミュニケーションがとれるようになりました。母親とは中国語で、2語以上の会話ができ、自分の意志も伝えられるようです。このあたりは流石幼少期は吸収率が凄いですね。発音は日本人が出せないネイティブ発音をしっかりと修得したようでした。

バイリンガル教育 台湾

日本への帰国。日本への帰国は元々5月末を予定していました。しかし、全ての国が入国制限対象となり、特例で再入国できるものの飛行機が飛ばない事態に。結局、欠航と振替を繰り返し、日本へ戻って来れたのが7月15日でした。

台湾から関空への便は2日に1度の朝便のみ。この日関空へ入港したのはこの1便のみでした。

入国時にPCR検査。関空へは自家用車で迎えに行きました。自家用車が手配できない場合は自費でホテル滞在となるようです。

翌日、PCR検査の結果が電話で伝えられました。陰性でした。それから14日間は自宅隔離期間。毎日LINEで体調に関するアンケートの提出が求められましたが、強制力や監視はありませんでした。

月末に隔離期間が終了し、ようやく日本での落ち着いた生活に戻ることができました。
息子は2歳を迎え保育園に復帰。中国語を修得しましたが、その分当たり前ですが日本語が遅れています。これからは日本語環境で日本語を学んでいくことになります。家庭では、母と息子は中国語、私と息子は日本語、夫婦間は日本語というバイリンガル環境です。

このタイミングで日本に戻ってきたのは、しっかりと日本の生活での備えができたからです。台湾からのマスク輸入が解禁されたため、マスクは1年分確保できました。その他、パストリーゼ×2斗缶、食料日用品の備蓄も1年分を目処に揃えました。

今後は自衛しつつ日本でコロナと共に生活していくことになります。今回、台湾でのコロナ疎開でワンクッション置けたことがよかったですね。生活の基盤を整えるために、未知のウイルスであったコロナと日本の3月時点の対応の中、幼い子供抱えて日本で家族揃って生活するにはリスクが大きすぎました。台湾で家族の安全を確保し、その間私は個人のリスクのみと向き合いながら生活することができたので。

以上、4か月半にわたる台湾コロナ疎開の記録でした。